ご存じの通り、日本人は石橋を叩いて渡るお国柄です。そういった国にとてもマッチした生命保険。日本でもすっかり定着していますが、日本が起源ではありません。そういった面も日本のお国柄という感じがしますよね。

今回は、生命保険の歴史をたどってみましょう。

生命保険の起源はイギリス

生命保険の歴史は18世紀のイギリスまでさかのぼります。

イギリスには昔から同業者同士で助け合うための組織を作り、組合費をあらかじめ積み立てておいて不幸や事業の失敗に備える『ギルド』という組織がありました。ギルドでは、葬式代はもちろん遺族の生活保護や、病気・仕事の失敗で生活に困った仲間の救済を行っていたといわれています。

その後、セントポール寺院の牧師仲間で作られた『香典前払い組合』、地域の顔見知りで作られた『虎児と未亡人の生活を保障する組合』など、同業者の枠を超え様々な組合が作られ組合費の積み立てが行われるようになりましたが、組合費が年齢関係なく一緒のため若い人には不公平だったりとか、毎年一定の積み立てを行い亡くなった人数で割るという方法のためその年によって支払い金額が少なく不公平だったりなど、様々な問題がありうまくいきませんでした。

そういった紆余曲折を経て、その後「加入年齢によって保険料に差をつけるべき」というハレーによって作られた『死亡表』をもとに、様々な不公平感を乗り越え、年齢が異なっても公平性を保てる生命保険が作られました。

これが『エクイタブル・ソサエティー』と言われる、現代にほぼ近い生命保険です。

生命保険の歴史は危険選択の歴史でもある

生命保険の前身である組合の時代には、色々な組合が作られては「組合費や支払いに不公平性がある」と消えていきました。生命保険で一番大事で基本となる部分です。
例えば加入年齢が違っていても組合費が同一であれば、先に亡くなる年齢の高い人は支払う期間が短くて不幸の際の支払いを受け取ることが出来るし、一方若い人はいつまでも組合費を支払い続けなくてはなりません。

人が給付金を受け取る『万が一』の状況になる要素を、保険用語では『危険』と言います。また、保険者である保険会社が被保険者の危険をどのように扱うかを『危険選択』と言います。
そして『危険選択』は保険料の金額に大きな影響を与えます。なぜなら危険選択の度合いによって危険が増し、保険金の支払いに結び付くからです。

それでは、危険選択はどの様な歴史をたどったのでしょうか?

イギリスに保険会社が設立された当初は、生命保険の加入は無診査でした。まだ告知書が世にないころの話です。ですので、保険会社は保険が破綻しないように、お客様の申し込みを無差別に引受しない事に対して注意を払っていました。
初期のころは被保険者の健康状態を確認するために、申し込み時は会社幹部が必ず面接をし、顔色や言語・動作の確認をしたり既往歴の質問をするなどを行っていました。その後医師での診査へ移行していきます。

ただ、その頃の被保険者の健康状態の確認は、面接をした幹部や医師の能力頼りであり、面接をした人の経験により引受の可否が決められ、公平というには不十分な状態でした。

その後、1890年にニューヨーク生命による各種危険要素の統計的研究が始まり、その結果を利用する事により新規申込者の死亡率が予測出来るようになったのです。これにより引受に科学的根拠が生まれ、様々なお客様に対して平等な危険選択が出来るようになったのです。

ここから、生命保険の危険選択の技術は急激に進歩していきました。

日本に保険を紹介したのは福沢諭吉

実は、日本に欧米の保険制度が紹介されたのは1867年、紹介をしたのは福沢諭吉によってでした。その後、明治14年(1881年)に日本で最初の生命保険会社である明治保険(明治安田生命の前身)が誕生しています。
イギリスに『エクイタブル・ソサエティー』が誕生してから約100年後の事になります。
その後、帝国生命(朝日生命の前身)、日本生命が誕生し、紆余曲折はあるものの現在も大きな生命保険会社として加入者の数を誇っています。

日本の生命保険会社の歴史は、その後第二次大戦の敗戦とともに崩壊の危機に陥りましたが、その後の高度経済成長や生命保険に関する日本国民の理解の向上により、着実に契約数を増やしていきました。

ただ一方、政治的な関わりがあり、日米貿易協定からの流れで1973年のアリコ(メットライフの前身)、1974のアフラックが第三分野の保険(主に医療保険を指す)として日本に参入してきました。ちなみに第一分野が生命保険、第二分野が損害保険です。この当時、日米の取り決めで日本の保険会社は第三分野の保険を単独で販売することが出来ませんでしたから、生命保険会社の場合は死亡保障に特約として医療保障を販売していました。

バブル期には投資を目的とした変額保険が注目を浴び、その後のバブル崩壊で再度の生命保険の様々な問題が噴出し、その流れから1995年の保険業法の改定により様々な保険の自由化が進み、医療保険が単独で商品の発売が出来るようになったり、ネット型や銀行窓口での保険販売、また代理店を通しての保険の加入が可能になりました。

そして現在の生命保険の形へ

1995年の保険業法の改定によって現在の生命保険の形が作られ、それは25年経った今もほぼ変わりありません。死亡保険に付帯する事でしか販売できなかった医療保障も、今では単独商品として販売出来るようになりました。
これは、死亡保障は不要でも医療保障は欲しいといったお客様のご要望にお応えできるものですし、死亡保障分の保険料を省いた安い保険料で医療保障のみを申し込む事も可能になりました。

保険に対しての窓口も広がり、ネット型や銀行窓口での保険申し込みも可能になり、ますます保険が身近に感じられるようになりました。
私個人としては、保険商品に詳しいのは保険会社ということで、銀行窓口ではなく保険会社から購入する事をおススメしますが、何らかのきっかけがあって加入した保険が今後『万が一の保障』として有効に機能することを考えると、窓口が広がることは悪くないのではと思う事もあります。

加入動機が「銀行の幼児のついでに勧められた」というものであっても、保険がお客様のお役に立てることが出来るなら、とてもうれしい事だと思うのです。